一時的な世界と永遠の世界(2019・10・30)
この間、友達に聖書の話をしていたら、彼女は「それならば、この世に生きてる数年の事を考えて生きるより、死んでからの方を考えた方がいいの?」と言われました。
これは私たちの命は80年位、長くても100年~120年ほど。
だけど天国または地獄で過ごすのは永遠だって話をしていました。
「地獄の死の谷に落ちた人は、自分の舌を潤す一滴の水さえ手に入らないみたいよ。」と話をしていたのです。(ルカ16:24)
パウロというイエス様のお弟子さんは、この世はすべてが一時的なものであり、そこでの世界で得た苦しみはいずれ重い栄光となって私たちにかえって来ると仰ってます。
なぜなら、このしばらくの軽い患難は私たちのうちに働いて、永遠の重い栄光を溢れるばかりに私たちに得させるからである。私たちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くのである。(第2コリント4:17-18)
今ある世界は一時的なもの。いずれ離れていく世界です。
だけど、その一時的なものに振り回されて生きるのも私たちの弱いところです。
ですが、その振り回されるような苦しみや辛さも、私たちの心に働きかけられていて、それが後に入る世界では栄光と言う形で得られるのです。
この世で起きることはすべて終わりをむかえます。
いつか終わってしまいます。どんな苦難も必ず終わりがあります。
今の苦しみを「なぜ私ばかり」と思ってしまいがちですが、その「なぜ?」が後にしっかり私たちに分かるように示される時がくるのでしょうね。
見える世界ばかりに身を置こうとせず、見えない世界があることを知っていなきゃいけませんね。