私たちの願望(2019・9・3)
神様に自分の願いを叶えてもらうためお祈りをしますが、その願望が神様から与えられているものと自分から出た願望とがあります。
神様が私たちを通して願望を私たちにお与えになったもの、
それは神様の御心からお与えになったものです。
その願望には平安があります。
そして喜びがあります。
その願望は愛に根差したものであり、神様の栄光を表すものであると言われてます。
自分の欲から出る願望には、不安があり、平安も喜びもありません。
そしてそれらは自分の栄光を表すものだと言われてます。
病気の友達の快復のために祈る祈りには自分の栄光はありません。
それを叶えてくださる神様の栄光があります。喜びも平安もあります。
けれど、その友達に偽りの物を与えて「これで病気は治るよ」と言って、
神様に願い求める願いには、自分の栄光のためであり、叶わなければ恥をかく不安が生まれます。
何かの願望を祈りで求める時、その願望は誰の栄光のためになるのかを考えて、
もし自分の栄光のためならば、その願望は叶っても喜びなく、平安のない、不安なものになると思ってください。
そしてその願望が、神様の栄光のためならば、喜びと平安を感じてください。