神様の御言葉に聞き従う(2019・9・25)
神様を信じている人が、神様からの御言葉を頂いたなら、それらの御言葉を受け止めないといけない事を、神様は何度も教えてくださってます。
その中の1つのお話です。
私たちが神様の御言葉を聞き、心に留めたなら、私たちの心も清くなっていることが大切だと仰ってます。
悪い木からは良い実はならいし、逆も同じであり、イバラからはイチジクは採れないし、野ばらからブドウを摘むことも出来ません。
善人は良い心の倉から良い物を取り出し、悪人は悪い倉から悪い物を取り出す。
心から溢れ出ることを口が語るのである。
わたしを「主よ、主よ、」と呼びながら、なぜわたしの言うことを行わないのか。
(ルカによる福音書6:45-46)
神様が私たちに語りかけてくださり救いの手を差し伸べているのに、それを見向きもせず、いつも神様を必要以上に求めるだけで御言葉を行わないでいる愚かな私たちをお話されてます。
(決して、求めることがいけない事だとは言ってません)
そして、神様の御言葉を聞き従う人は、『地を深く掘り、岩の上に家を建てる人に似ている』なぜなら、『洪水が来ても、激流がそれを揺り動かすことはない』とたとえ、また聞き従わない人は、『土台なしで土の上に家を建てた人で、激流でそれはたちまち倒れてしまう。』とたとえられました。
そして最後に、『その被害は大きい』と言われてます。
私たちが神様の御言葉を聞いて心の土台をしっかり保つには、御言葉をしっかり心に留める必要があり、そしてそれを留めただけにせず、御言葉に従って行いなさいと仰ってます。
そうでなければ、神様が語った「その被害は大きい」ことになるのでしょう。
神様は私たちに被害多く生きてほしくないのです。
「神様、神様」と願い求めたならば、御言葉をしっかり聞いて、行って、心を保ってほしいと望まれたのだと思います。
それが私たちにとって大切な生き方だからなのだろうな、と思いました。