御言を行う人になりなさい(2019・8・2)
私たちは日々色々な所で、心が救われるような言葉を目にしたり、耳にしたりします。
神様の御言葉が私たちの心を洗ってくださり、前に進む希望へと変えてくださる時があります。
ですが、多くの場合は、その瞬間だけ心洗われて、その場を去ってしまうと忘れてしまい、いつものように思い煩う人は思い煩い、怒る人は怒り、悲しむ人は悲しみ、
愚痴を言う人は愚痴を言うでしょう。
神様は『御言を行う人になりなさい。おのれをあざむいて、ただ聞くだけの者となってはいけない。』と仰ってます。
そしてそれはちょうど自分の顔を鏡に映して見る人のようだと仰ってます。
『彼らは自分を映して見て、そこから立ち去るとそのとたんに、自分の姿がどんなであったかを忘れてしまう。』と言ったたとえで教えてくださってます。
思い当り過ぎて恥ずかしくなります。
せっかく頂いた御言葉なのに、月日が経てば、あるいは数時間で、また心を曇らせてしまうのも、私たちです。
神様は『御言を行う人になりなさい』と仰ってます。
『聞いて忘れてしまう人ではなく、行う人』になりなさいと仰ってます。
そして実際に行う人は『こう言う人は、その行いによって祝福される。』と仰ってます。
すぐには変われなくても、嘆くことせず、少しずつ神様の望む人に近づけていけたら、そう思ってまた前に進む努力をしようと思いました。