神様大好き!みーのこころブログ♪

自己愛性人格障害の父とそれに従う母に育てられ、ウツとパニック症を患い生きづらかった私。そんな私に神様が手を差し伸べてくださった☆神様から愛と光をたくさん頂いて人生必死に生きてます。神様が教えてくださった事や人やメッセージを綴っていきます♪

ある伝道者のかたのお話(2019・9・19)

ある伝道者の方の教えです。

 

地の果てなるもろもろの人よ、わたしを仰ぎ望め、そうすれば救われる。

イザヤ書45:22)

 ココに書かれている『地の果てなるもろもろの人』とは、ユダヤ人以外の人たちのことです。

聖書ではユダヤ人以外の人たちのことを「異邦人」と言っています。

 

『仰ぎ望め』とは、仰ぎ見ていないので、「こちらを仰ぎ見なさい」と仰ってます。

人は神様を仰ぎ見なければ何を見るのでしょうか?

人は「自分自身を」あるいは、「他人を」見るのです。

 

なぜ承認欲求を求めるのでしょうか?

それは、『自分の価値の証明ができるから』です。

人は自分が生きている価値を認めたいものです。

「何のために生きているのだろう?」「自分には生きる価値があるのだろうか?」と思うものです。

けれど、『人に受け入れられたい』とばかり考えて生きていては、やがて自分のやりたいことを見失ってしまいます。

と、伝道者の方は教えてくださいました。

 

人を仰ぎ見て生きることは、自分の生きる価値を証明し続けることなのかもしれない。

 

そしてお話は続きました。

聖書では『なぜ人間には価値があるのか?』の問いにしっかり答えてあります。

それは、「神様がお造りになったから」です。

私たちひとりひとりは、神様に似せて造られました。『似せて』と言うのは、私たちは神様の形に似ていることです。

神様の形は、魚や獣の形でもなく、花や草木の形でもなく、太陽や宇宙の形でもなく、私たちを見れば神様の形がわかるように造られました。

 

なぜお造りになったのか?

それは、私たちを愛するためです。

私たちに『幸せに喜んで生きてもらうため』です。

 

だからあなたが「私なんて生きる価値もない」と思っても、「何のために生きているのか?」と思っても、あなたには存在しているだけで、価値があるのです。

そう神様が思っておられるからです。

 

このお話を聞いてまた神様の愛に包まれた気持ちになりました。