ある伝道者のかたのお話(2019・9・19)
ある伝道者の方の教えです。
地の果てなるもろもろの人よ、わたしを仰ぎ望め、そうすれば救われる。
(イザヤ書45:22)
ココに書かれている『地の果てなるもろもろの人』とは、ユダヤ人以外の人たちのことです。
聖書ではユダヤ人以外の人たちのことを「異邦人」と言っています。
『仰ぎ望め』とは、仰ぎ見ていないので、「こちらを仰ぎ見なさい」と仰ってます。
人は神様を仰ぎ見なければ何を見るのでしょうか?
人は「自分自身を」あるいは、「他人を」見るのです。
なぜ承認欲求を求めるのでしょうか?
それは、『自分の価値の証明ができるから』です。
人は自分が生きている価値を認めたいものです。
「何のために生きているのだろう?」「自分には生きる価値があるのだろうか?」と思うものです。
けれど、『人に受け入れられたい』とばかり考えて生きていては、やがて自分のやりたいことを見失ってしまいます。
と、伝道者の方は教えてくださいました。
人を仰ぎ見て生きることは、自分の生きる価値を証明し続けることなのかもしれない。
そしてお話は続きました。
聖書では『なぜ人間には価値があるのか?』の問いにしっかり答えてあります。
それは、「神様がお造りになったから」です。
私たちひとりひとりは、神様に似せて造られました。『似せて』と言うのは、私たちは神様の形に似ていることです。
神様の形は、魚や獣の形でもなく、花や草木の形でもなく、太陽や宇宙の形でもなく、私たちを見れば神様の形がわかるように造られました。
なぜお造りになったのか?
それは、私たちを愛するためです。
私たちに『幸せに喜んで生きてもらうため』です。
だからあなたが「私なんて生きる価値もない」と思っても、「何のために生きているのか?」と思っても、あなたには存在しているだけで、価値があるのです。
そう神様が思っておられるからです。
このお話を聞いてまた神様の愛に包まれた気持ちになりました。