私と言う供え物(2019・8・28)
『あなたのからだを神に喜ばれる生きた聖なる供え物にしなさい(ローマ12:1)』と言われてます。
これは何も自分の身体ごと実際にお供えしなさいと言っている意味ではなく、
「神様の思いに応えられる人になりなさい」との意味です。
続きには『あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって造り変えられ、何が神様の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかをわきまえ知るべきである。(ローマ12:2)』と言われてます。
神様に自分自身を捧げることとは、神様のお考えやお喜びになること何が善であるか、それらをどのようにしたら全うできるかを考え知ること、そして行いによって神様に捧げることです。
神様を信じて愛したから、神様に新しく造り変えて頂けたから、すべてが上手くいくとかではありません。
色んな試練も与えられ、喜びや平安も味わいながら、少しずつ色んな選択を間違わずに神様のお考えに応えられる人に成長していくもんだと思います。
いつも「神様のお望みは何か?」を考え生きることが私自身の供え物でなはいか?と思いました。
私は神様のお望みのように成長していけるだろうか?
そんな気持ちになりました。