施しを行うこと(2019・7・27)
先日書いた記事で、『人にしたことは、神様にして差し上げたことと同じ』という事を書きました。
こんな聖句があります。
わたしが飢えていた時に食べさせ、喉が渇いていた時に飲ませ、
裸の時に着せ、病気の時に見舞ってくれた。
わたしの兄弟である最も小さい者のひとりにしたのは、
わたしにしてくれたことなのである。(マタイ25:35-40)
(わたしの兄弟の意味は、全人類のことです。)
私たちが人に何かをする行為は、神様にすることと同じです、と仰ってます。
それは良いことも悪いことも同じです。
どんな人にも神様にして差し上げてることに繋がると忘れないで、施しなさい。
のメッセージだと思います。
私たちが人にした行為も、良かれと思っても、思うような反応が返ってこないと、
がっかりしたり、残念に思ったりします。
そればかりか、罵倒されたりする時もあります。
「もうやりたくない!」とさえ思ってしまい、相手を嫌うきっかけになってしまうかもしれません。
けれどその施しが、神様に繋がり神様に差し上げてる行為だとしたら、
いかがですか?
とても救われる気持ちになります。
私たちの行いすべて見てくださって喜ばれてると思ったら、私たちの気持ちが報われます。
もし何かの行いを他の人にしてあげた時、残念な受け取られ方をしたなら、
このことを思い出してください。
私たちの行いは決して悲しい結果にならないと思います。