神様の御技(2019・8・24)
聖書の福音書の中のお話です。
イエス様と弟子達が歩いていた時、1人の盲人がいました。
弟子達がイエス様に尋ねました。「この人が生まれつき盲人なのは誰が罪を犯したためですか?本人ですか?両親ですか?」
これは、この盲人が見えなくなった原因は盲人の過去の行いのせいですか?それとも両親の行いのせいですか?と聞かれてることです。
過去何か過ちを犯したからそのせいで罪を負っているのですか?とのことです。
それに対してイエス様は「本人が罪を犯したのでもなく、両親が罪を犯したのでもなく、ただ神の御技が彼の上に現れるためである」と言われました。
これは、誰かのせいや、過去のせいではなく、盲目になることで神様の御技を頂けたのだとのことです。
過去や誰かのせいで罪を負っているならば、人は前に進むことは困難です。
なぜなら、何かのせいにしていても何も変わることは出来ないのだから。
そうではなく、辛い時、弱い時こそ、神様はその人にそれを乗り越える神の御技をお与えになっていると仰っています。そしてその辛さもひとりではなく、神様と共に歩む道となるのだと仰ってます。
辛く悲しいことが起きたとしても、それは過去や誰かのせいだと考えて、過去やその人に縛られるのではなく、その瞬間から神様の御技を頂けるのだと考えれば、辛さの中にいても、神様の恩恵が私たちを救ってくださると思います。
そしてその救いによって、前に進む希望も持つことが出来ると思います。
その進む道ですら神様の恩恵の道だと思います。
その後、イエス様は御技によって盲人の目を見えるようにしました。
しかし主は言われた「わたしの恵みは、あなたに十分である。
というのは、わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである。
(第2コリント12:9)