良い行いをした時(2019・7・16)
どれだけ尽くしても、ありがたいと思われず、
どれだけ譲っても、何も気がついてもらえず、
どれだけかばっても、当たり前の顔をされ、
いくら手を差し伸べて優しさを与えても、
何も気がつかれずに通り過ぎられることも多い。
そればかりか、愚か者扱いまでされる始末。
「もうこんなことをやっても無駄だ」と投げ出したくなってしまう。
けれど、神様はそんな私たちを、ずっと、そっと、見守り続けてくださってます。
私たちがそれらの行いをやり続けていることも、そしてずっと耐え続けていることも、すべて知ってくださっています。
そればかりか、私たち自身が気づいていない霊的な成長も気づいてくださっています。
私たちが良い行いを他の人に与えている時、その人に気づいてもらうために行っているのではなく、実は神様と私たちとの間での関係なのだと知ったのなら、
行いすべては報われ救われる気がします。
神様はこうして私たちが良い行いをすることに虚しい気持ちに陥らないように、
おごりが出ないようになさっているんだろう、と思います。
いつも私たちのことを考えてくださり、私たちが生きやすく道を整えてくださってる気がしてなりません。
辛くなった時、この関係を思い出そう。そしてまた踏み出そうと思いました。
わたしはあなたの技と、あなたの愛と、信仰と奉仕と、忍耐を知っている。
また、あなたの後の技が、初めよりも勝っていることを知っている。
(ヨハネの黙示禄2:19)