神様大好き!みーのこころブログ♪

自己愛性人格障害の父とそれに従う母に育てられ、ウツとパニック症を患い生きづらかった私。そんな私に神様が手を差し伸べてくださった☆神様から愛と光をたくさん頂いて人生必死に生きてます。神様が教えてくださった事や人やメッセージを綴っていきます♪

天からのプレゼント(2019・6・5)

お知り合いのAさんから、

「ジャバラ(邪払)というみかんが、花粉症の症状を和らげるらしいよ」と

教えてもらい、ジャバラのジャムを頂きました。

 

TVでその情報を知ってから、色々探し求めて、やっとのご購入だったそうです。

Aさんも、ご自分のものとお嬢さんのものと2つ買ったそうです。

 

ある日、友人ご夫婦がAさんのお宅に遊びに来られ、

その時、友人のご主人の方が、ひどい花粉症だったそうなので、

Aさんはご自分用に買ったジャバラのジャムを、そのご友人に差し上げたそうです。

 

先日、私が偶然「ジャバラ果汁100%」のものを見つけ、

Aさんにお礼として差し上げました。

Aさんは「私が欲しかったものは、実はコレなんです!わぁ~嬉しい♡」と、

とても喜ばれました。

 

『天につばを吐けば自分にかえってくる』と言われてますが、

天にプレゼントを差し上げれば、

神様はちゃんとプレゼントを返してくださるんだなぁ、と改めて感じました。

 

これが神様の御業なんだと思った出来事でした。

 

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 気になる方は、一度ご賞味いかがですか?

少しほろ苦いですけど、美味しいですよ。

心を守りなさい(2019・6・4)

『感情は思考の8万倍の早さで伝わる』と書いてあった記事を目にしました。

 

嫌な辛い感情が現れた時、どうしていいか思考が追い付かなくなり、

感情に揺さぶられてしまって、対処や対応が間に合わないようなことです。

これは、いい感情の時や興奮した時なども同じです。

 

この感情を自分の力で上手くコントロールし、

良い判断をして進めていくことは、とても大変なことだ、との事です。

 

痛いほどわかります。

感情に振り回されて、その感情を育ててしまって、

どうにも出口が見つからなくなって、

何度暗闇をさまよう気持ちになったことか分かりません。

 

神様は私たちに『心を守りなさい』と仰っています。

 

心が乱され、感情がコントロールきかなくなりそうな時、

神様は『私の言葉に心を留め、私の語ることに耳を傾けよ(箴言4:20)』

と仰ってます。

 

「祈っても、神様は何もしてくれない」と思わないで。

祈りながら、自らの心の目を閉ざさないで、しっかり開いて

感じる努力をしてほしいです。

 自分の目から神様を離さず、自らの心を守ることを、神様は望んでおられます。

 

神様が心に宿り、満たされてるなら、 それは私たちにできることだからです。

 

油断することなく、あなたの心を守りなさい。

命の泉はこれから流れ出るからである。(箴言4:23)

 

愛する子(2019・6・3)

すると天から声があった。

「あなたはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である。」

(マルコによる福音書10:17-22)

 

神様は仰ってます。

私たちは神様と同一なんだってことを。

そして愛してくださってることを。

 

どんなに間違いをしても、神様の仰るように上手く生きることが出来なくても、

人を傷つけ、傷つけられて自分を責めても、

神様にとって私たちは『愛する子』なんです。

 

『神様の造られたものは、みな良い物であって、捨てるべきものはない。』

と仰ってます。

 

私たちは神様から造られたものです。

だから尊くて神聖なものなんです。

 

だから自分を諦めないで。

自分を見捨てないで。

自分の内なるかたを、内なる力を信じてください。

 

神様に愛されてることに誇りを持ってください。

 

神の造られたものは、みな良いものであって、感謝して受け入れるなら、

何ひとつ捨てるべきものはない。(テモテへの第一の手紙4:4)

 

 

 

 

あなたのいいところは何?(2019・6・2)

マザー・テレサは、初めて会った人に対して、

「この人のいいところは何だろう?から始めます」と仰っていた。

 

マザーは嫌われる、嫌われない、関係なく相手のいいところを探そうとしている。

 そう思いました。

 

私は初めて会った人に対して、

「嫌われたらどうしよう」から入っちゃう。

すぐに、無駄に、自分を守ろうとしちゃうんだろうな。

 

このマザーの接し方は、決して難しいわけではなく、

それでいて、『愛』ある行動に繋がるもの。

そして、相手に与える『愛』は必ず自分に返ってくると思うと、

急がずとも結局は、自分を守る行為に繋がるんだと感じました。

 

自ら壁を高くして守ろうとせずとも、壁をなくして、相手の壁のすきまから

相手のいいところを探す行為は、きっと相手の壁をもなくしていけるんだろう

と思いました。

 

高慢にならず、傲慢にならず、裁かず、縛らず、見返りを求めず、

ただ、純粋に「あなたのいいところは何だろう?」

そんな気持ちで人に接したら、きっと何かが変わるだろう?

 

そう思いました。

自分のため(2019・6・1)

神様がお造りになったこの世界は、

本当に私たちにバランス良く出来ているんだなぁ、と感じます。

 

「人のため」と思って、何かをしようと志しても、それを成し遂げても、

必ず「人のため」だけではなく、「自分のため」にもなっている。

それは必ずと言っていいほど。

 

それを感じたり知ってしまうと、無理せずとも頑張らなくても、

自然と「感謝しよう」と湧いてきます。

 

神様を感じなかったり、自我の強い考えだと、

「人のため」という意識が強いので、高慢な考えになったり、

見返りを求めたりしてしまうんだろうな、と思います。

 

『どんなことにも感謝しなさい』と神様が仰っていることが、

自然とできるように、ちゃんと私たちに与えてくださっているんだと感じます。

 

それが上手く出来ないのは、

いつでも私たちの心がけなんだと思わずにはいられません。

 

自分が行う「人のための良いこと」は、すべて「自分のため」

それを見失わないようにしないといけない、と思いました。

恐れてはいけない(2019・5・31)

神様は何度も『恐れてはならない』と仰ってます。

そして『強くなりなさい』とも仰ってます。

 

神様を信じる者には、恐れから解放されて、喜びと平安で満たされる。

そう仰ってます。

 

人は弱く、不完全だから、どうしても目の前の不安や、悪に呑まれてしまい、

恐れが生まれてしまいます。

 

エス様のお弟子さんでさえ、恐れが生まれ、イエス様に「助けてください」

と言って助けてもらってます。

その時もイエス様は「恐れてはならない」と仰って助けてます。

それ程に弱く脆いのだと感じます。

 

だから神様は何度でも「恐れてはならない」と仰ってくださる。

「悪に負けてはならない」とも仰ってます。

 

神様は私たちが恐れるたびに何度でもそう仰っているのは、

恐れなく生きれるように造られたからだと思います。

神様は出来ないことを仰るはずはありません。

だから、恐れから解放することが出来るように私たちは造られてるはずです。

 

そのことを忘れてはいけないと思いました。

 

自分が自分で生み出した恐れで怯えている時、

「恐れてはいけない」ことを思い出し、

自分の恐れに負けないようにしなくちゃいけない。

 

だって、私たちは強く造られたのだから。

 

しっかりしなさい。わたしである。

恐れることはない。(マルコによる福音書6:50)

 

この素晴らしき世界(2019・5・30)

ルイ・アームストロングの『この素晴らしき世界』という歌を思い出しました。

それは、なんてことない日常の風景や人とのやりとりが

とても素晴らしくて、幸せなことなんだって教えてくれるものです。

 

辛すぎて、苦しすぎて、または忙しすぎて、疲れすぎて、

見失ってること、見ようとしなかったこと、

けれど、いつもそこにあって、変わらずある素晴らしくて幸せなもの。

それをちゃんと「美しい、素晴らしい、幸せだ」と思える心を失いたくない。

そんな風に思わせてくれる歌です。

 

 

『この素晴らしき世界』

 

緑豊かな木々 美しい赤いバラ

それらは 私とあなたのために咲いているように思える

そして 心の中で思うんだよ

なんて素晴らしい世界なんだろうって

 

どこまでも続く青い空と白い雲

明るく祝福された日 暗く聖なる夜

そして 心の中で思うんだよ

なんて素晴らしい世界なんだろうって

 

空に とてもきれいな虹が架かる

行き交う人々の顔にもね

友人たちが「元気かい?」って握手するんだよ

でも 彼らは本当は「愛してる」って伝えてる

 

赤ん坊たちが元気に泣いている そして成長を見守るんだよ

彼らは 私よりもずっと多くのことを学ぶだろうね

そして 心の中で思うんだよ

なんて素晴らしい世界なんだろうって

 

そう 心の中で思うんだよ

なんて素晴らしい世界なんだろうってね

 


この素晴らしき世界  ルイ・アームストロング