聖句(2019・4・3)
とても素敵な聖句があります。
みんな互いに謙遜を身につけなさい。
神は高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みを賜るからである。
だから、あなたがたは神の力強い御手の下に、自らを低くしなさい。
時が来れば神はあなたがたを高くしてくださるであろう。
自分の思い煩いを一切神に委ねなさい。
身を慎み、目を覚ましていなさい。
あなたがたのよく知ってる通り、全世界にいる兄弟たちも同じように
苦しみの数々にあっています。
あなたがたを主にある永遠の栄光に招きいれてくださった
溢れる恵みの神は、しばらくの苦しみの後、
あなたがたを、癒し、強め、力づけ、不動のものとしてくださるであろう。
(ペテロ第一の手紙5:1-11)
ちょっと自我がきつくなってきたり、上手くいかないことに腹を立てたり、
自分のわがままで感情をコントロールするのを諦めたりしてしまうけど、
これを読むといつも低くすることがとても大切なんだな~と思います。
『時が来れば神はあながたがを高くしてくださる』と仰ってる。
傲慢になって高ぶること、『生かされてる』思いを忘れてること、
そんな時は心の目で何も見えなくなってしまっていると思う。
だから神様を見失ってしまってる。
それだけはいやだ。
そして、『神様はしばらくの苦しみの後、癒し、強め、力づけ、不動のものにしてくださる』と仰ってる。
苦しくて、感情のコントロールがきかなくて、見失いそうになっても、
神様を信じて、祈り、心の目をしっかり開けていれば、ちゃんと手を差し伸べてくださってるのが分かるはず。
いつも思う、思い煩うことはいらないことなんだって。
委ねてお任せすることが苦しみを減らすことなんだって。
けど、時々忘れちゃう。そして苦しくなる。
それでも神様はいつも変わらずに愛してくださってる。
だから私もいつも神様の存在を感じていたいと思う。
ああ、とても素敵な聖句を見つけれた。
これも神様からのメッセージかな。
ありがとうございます。
神様と対話して祈る(2019・4・2)
最近の私は、祈ることは「神様との対話」のようなもの。
そんな気持ちでお祈りをしております。
昔から祈ることは好きだったけれど、今思うといつも一方通行な祈り方をしていたように思います。
自分の叶えてほしい想いが強すぎて神様の御霊を感じようとしていなかった。
対話のような気持ちで祈っていると、何度も何度も同じ悩みの祈りを繰り返しているうちに、祈り求める内容が外に向いていたものが、どんどん内へと向いてくる。
そして、問題の核心に迫ってくる感じがします。
その頃から、うっすら祈り求める答えも見え隠れし始めます。
そして、核心に触れた時には答えも用意してくださってる気がします。
願い求める祈りの内容が、すぐに手放し神様にお委ねできればいいけれど、
なかなかそう出来ない願いには、一方通行にならず、
神様との対話をする気持ちで、神様と向き合い、自分と向き合い、
何度も祈り求めて核心に触れていく、
そんなお導きのなさり方もあるんだと知りました。
そして答えに辿り着いた時に、やっと、
『すべては御心のままに』とすべてを委ね手放すことが出来るんだと思います。
令和(2019・4・1)
今日、新元号が発表された。
『令和』
聞いた瞬間、なぜかちょっとウルッとしました。
平和で豊かで、それでいて気高い。
柔らかさと強さが備わったような響きに感じました。
皇太子さまもにっこりと頷かれたと仰っていた。
天皇陛下が31年かけてお作りになられた、あの神々しいお顔のように、
皇太子さまもこれから何年もかけて、お顔をお作りになっていくんだろうなぁ。
私はどこまで見ていられるかは分からないけれど、
戦争ない『平成』の平和を保たれた天皇陛下に受け継いで、
新しい天皇陛下らしいお顔になってほしい。
温かい、豊かな和が次の世代や異国の人たちにもつながってほしい。
いよいよ平成もあと1か月か~。
あのお優しい天皇ご夫婦のお顔を拝見できるのも、あと1か月か~。
象徴から解放されたら、もっと神々しい存在におなりになるんだろうな。
お花のパワー(2019・3・31)
最近はたくさんの方が桜やお花の写真を載せてくださってるのを目にします。
私の住んでるところは、桜開花宣言されてるけれど、まだちらほらで、
だいぶ蕾がぷっくらしてきましたが、まだまだです。
この1週間で咲いてくれたらいいな、と思ってます。
そんなお花たちの写真を見せてもらってると、写真からものすごいパワーを頂きます。
春のお花なので、パワーと言っても、癒しや浄化といった優しいパワーです。
写真からでもこんなに伝わってくるってことは、生で見ていると
かなり魂に影響がある気がします。
今まで「きれいね」とは思っても、そんなことは気がつかなかったし、
自分の錯覚かな?とも思うんですが、お祈りの時までお花パワーがチラつく感じです。
このパワーは今咲いてるお花からのものなので、過去に撮った写真からは感じないと思います。
もし疲れていたり、癒されたい気持ちがおありなら、お花を見たり、写真に撮って
待ち受けにしてもいいかもしれません。写真を眺めるのもいいかも。
桜の次は『芽吹く季節』です。
またその時も違ったパワーが出てるんだろうな~。
今から楽しみです。
※これは私が最近感じたことなので、
「んなアホな」とお思いの方はスルーしてくださいね~。
学びの時(2019・3・30)
『自分自身が常に傷ついている状態では、どうしても周りの人々を
傷つけてしまいます。』
こんな文章を目にしました。
身に沁みます。
どれだけの人を傷つけてきたのだろう。
感情のコントロールがきかなくて、どんだけ辛く当たってきただろう。
本当にごめんなさい。
神様からの愛を知って、自分を愛することを教えてもらって、
すべてがそこからスタートとなって、今ゆっくり人との本当の関わりを教えてもらってる気がします。
まだまだ感情のコントロールを上手くできないけれど、
真っ暗の手探り状態の時とは違い、いつも光で照らしてくださってる。
迷いながらでも、導いてくださる気配をいつも感じていられる。
良い時も、悪い時も、常に一緒にいてくださる。
そして時おり私に小さな奇跡や驚くような奇跡を見せてくださり、
体験させてくださる。
神様は仰ってくださる
『わたしは決してあなたから離れず、決してあなたを置き去りにはしない。
(ヘブライ人の手紙13:5-6)』
私はその御言葉を信じてます。
だからすべては、『だいじょうぶ』なんです。
オフの日(2019・3・29)
この間、友達とこんな話をしました。
休みの日は完全にオフスタイルにするか、休みのスタイルにするか、
これは休みの日の服装やメイクはどうしてるか?って話です。
私は仕事の時はフルメイクに仕事着を着てます。
休みで、出かける場所がスーパーや近所の買い物程度の時は、部分メイクに普段着。
休みで、どこにも出掛けない時は、簡単メイクに家着。
友達は昔はスッピンにパジャマだったけど、今は家着。
スーパーや近所の買い物の時は、その都度着替えるらしいです。
どっちが楽か?って話になって、彼女は「そら、パジャマが楽やろ?」と
言ってましたが、
私は薄くても化粧をして家着でいる方が、突然の訪問者や急にチョロっと出る時に、
最低限人前に出れる格好を常にしてる方が楽だと言いました。
たぶん、男性と違って女性はオンオフにも段階がある気がします。
そしてオフにも段階がある気がします。
メイクでは、フルメイク、部分メイク(その中でも段階があります)
薄いメイク、スッピン、
服装も、仕事着、お出かけ着、普段着、家着、パジャマ
(普段着から家着の間にも段階があります)
メイクを落として、パジャマになった時、初めて完全オフになれるのです。
これって、女性あるあるじゃないかな?
だからね、女性は「クローゼットの中にはこんなに服があるのに、今日着る服がない」って名言が生まれるのかもしれない。
種(2019・3・28)
最近私の周りのメッセージに『種』がやたらと出てきます。
春だからかな?
「良い種を蒔けば良い実が育ち、悪い種を蒔けば悪い実が育つ」
「良い種を蒔きましょう」
「自分が蒔いた種は自分が刈り取る」
なんだか、種まきをする時がきてるのかしら?
それとも、蒔いてくださった種を上手に育てないといけないことなのかしら?
神様のおかげで生き辛さから解放して頂けて、次に新しい私になって
種を育てましょうってことかしら?
聖書で『種』は神様からの御言葉を表してるそうです。
頂いたメッセージなので、これからの私として種を育ててみようと思います。
初めは注意深く、慎重に。
慣れてきたら、肩の力を抜いて。
神様を信じて、私を信じて、大切に蒔いて、育ててみよう。
どれ位したら伸びてくるのか?
どんな実が育つか?
色々思いは巡るけれど、未来を気にしすぎてもいけないから、
あとはすべてを信頼して育てることに尽くそう。
結局、蒔くのか、育てるのかは分からないんだけど、
『種』のメッセージは大切に育てたいな~。