とこしえまで残る言葉(2019・9・28)
神様を見たことがないのに、どうして私はこんなに神様の存在を大切に過ごしているのだろう?
こんな聖句があります。
あなたがたは、イエス・キリストを見たことはないが、彼を愛している。現在見ていないけれども、信じて、言葉につくせない輝きに満ちた喜びに溢れている。それは、信仰の結果なる魂の救いを得ているからである。(第一ペテロ1:8-9)
私は神様を見たことがありません。けれど何度も神様を感じたことはあります。
そして、神様からの溢れる平安も喜びも体験したことがあります。
これはココに書かれた『魂の救い』を得たからだと思います。
『信仰』と書かれてますが、そんな難しいものではありませんでした。
ただ、わたしを愛してくださる神様を信じて愛しただけです。
「人はみな草のごとく、その栄華はみな草の花に似ている。草は枯れ花は散る。しかし、主の言葉はとこしえに残る。」これが、あながたがに宣べ伝えられた御言葉である。(第一ペテロ1:24-25)
私が神様を感じられたのは、今から3500年前~2000年ほど前に言われた言葉によるものです。
『主の言葉はとこしえに残る』このように、神様の御言葉が2000年後の人々の心も救い、癒してくださっているのです。
そして、この御言葉はおそらくその先も残り、私が神様の御言葉によって救われたように、未来の人の心も救われるのでしょう。
それはやっぱりこれが神様からの御言葉だからじゃないかな?と思ってしまいます。
とても神秘的で、だけど、確信的なものと私は思ってます。