変化(2019・2・10)
お友達の話です。
いつも自分に自信がなく、怯えて生きていた友達が、この数か月ほどで心の持ち方が素晴らしく変わりました。
自分の発言に自信を持っていて、心に1本の柱が入ったようです。
彼女も神様の存在を確信し、信じる力を得てから導かれるように階段を一歩一歩登りはじめました。
どんなに部外者が彼女を陥れようとも、今ではあまり心乱されず、落ち着いて、ブレずに物事の真意を見極めるようになりました。
たとえ心が不安定になっても、戻ってこれる強さが生まれました。
彼女は「どうぞ、私の事をブログに全部書いてください。それでひとりでも救われる人がいるならば。」と言います。
そう言った彼女は、とても神々しいほどに美しかったです。
彼女にはお子さんがいます。
そのお子さんも苦悩の中で迷いながら生きています。
今までは親として、どの様に彼を導いてあげればいいのか悩み迷っていました。
けれど、今は「環境や人のせいにしても、何も変わらない。変えるのは自分の気持ち。」と言えるようになってます。
人に何を言われても自分の心がしっかりしていれば大丈夫と確信したみたいです。
そこには神様からの大きな愛があり、「どんな事があっても守られてる」と思えるようになったからだと言ってます。
彼女がここまで変化できたのは、素直に純粋に信じることをされたからだと思います。
心の扉を開けて、とにかく信じてみたんだと思います。
彼女も辛くて、苦しくて、逃げたいけれど、逃げる勇気もなく、お金もなく、術もなく、「ここで生きるしかないのかな?」と絶望の涙を何度も何度も流していました。
その彼女が、何の環境も変わらないのに、この心の強さを身につけることができました。
今の彼女には「私なんて」と言った自分を卑下する言葉は出てきません。
そんな彼女になれたのが、ただただ、嬉しくて、カッコ良く見えます。
彼女も私と同じように、ただ神様を信じて、祈り、メッセージを見逃さないように集中して、頂いたメッセージを理解して、確信し、
そして、『神様から見守られてる』という大きな愛を信じ、これも確信しただけです。
何度でも言います。
これは特別なことじゃないんです。
信じる気持ちがあれば誰にでもそうなる事なんです。
お金、場所、時間も掛かりません。
あなたの心だけです。
今回のブログは半分は彼女に捧げて書きました。
読んでまた泣くかな?(笑)
なぐさめる(2019・2・9)
最近、私が悲しくて苦しくなった時にやったことです。
大好きな人の音楽を聴きながら、胸に手をあてて、目を閉じて、
「ほら、私をなぐさめ、優しく愛してくれるお方や人、ものが見えるでしょ?
ありのままの私を愛してくれるお方や人、ものを感じるでしょ?
私のお側に寄り添ってくださるお方を感じるでしょ?
私はこれまでよく頑張ってきたよ。
どれだけ傷ついてきたか分かるでしょ?どれだけ涙を流してきたかわかるでしょ?
それでも這いつくばって頑張ってきたでしょ?
今度は私がたくさんの愛を感じるばんでしょ?
無償の愛で愛される実感をいっぱい感じる番でしょ?
ほら、愛してもらってるでしょ?
どれだけ心と身体が傷ついていたのか私自身見てきたでしょ?
神様も見てくださっていたの知ってるでしょ?
だから今、私は神様を感じることができるんでしょ?
愛でいっぱいにならないと、相手に愛を与えることもできないよ。
与えてもすぐにしぼんでしまう。
私がありのままで愛された心がないと上手くいかないよ。
だから今はありのままの私が十分に愛されるばんだから。
大丈夫、もう十分に頑張ったから。大丈夫だから。」
ひたすら自分を肯定する言葉を、愛を与えておりました。
やっぱり涙が出てくるんです。
『愛されてる』って言葉はとても涙が溢れます。
自分をなぐさめ、愛することって本当に大切ですね。
胸いっぱいに体感できました。
御朱印(2019・2・8)
先日、お寺の奥様がこんな事を仰っておりました。
「最近は御朱印を押してもらうことが流行っていて、お正月の三が日は長蛇の列になっていたのよ。お蔭で御朱印書きに追われて腕がパンパンになってしまったわ。」と。
今は御朱印がお目当てでお越しになる方が多いと仰っていて、
御朱印だけもらってお参りをされない方もおられるそうです。
私の友達も御朱印目的で神社、お寺巡りに行くそうで、
「私は参拝はどうでもいいのよ」と言ってました。
私は参拝がしたいので、あまりそちらは気にしないです。
祈りの場所も気になりません。
神社もお寺も教会も。他には自然にも祈ります。
『祈る』そのものを大切にしています。
友達は『集める』ことを大切にしています。
「そんな目的もあるんだ~!!!」と驚きましたが、
それでその方たちがお幸せなら十分に価値はある。
幸せの感じ方は人それぞれなんだから。
ちょっと自分の中ではない発想だったので、ビックリでした。
天使の方たち(2019・2・7)
時々、神様は私に「この方は天使なんじゃないかな?」と思わせてくださるような人を見せてくださる。
その方たちは、いつでもポジティブで、笑顔で、相手の方をとても尊重されていて、感謝の言葉も常に出る。相手の方に対して必ず素敵な言葉を添えて返事をされる。
相手の方の意見にとても素直に聞き入る。
そこにブレがなく、いつでも誰にでも同じように振る舞ってらっしゃる。
それはまるで神様が私に天使の方々を見せてくださって、
「参考になさい」と仰っているかのようです。
そしてこれがオーラなのかは分かりませんが、光輝いているように見えます。
それはとてもきれいです。
神様が仰っていた「私の顔の輝きが、あなたの顔の輝きとなる。」みたいに。
天使の方はご自分が天使だと気がついてないように見えます。
だからいつでも、私たちと同じ目線です。
そこも優しさなのかな?とさえ思ってしまいます。
私もあの天使の方たちの様な、『心の清い人』に近づきたい。
今はまだまだほど遠いですが、天使の方々に生き方を見せてもらいながら、近づける努力をし、生かしてもらいたいです。
そしてそれが上手くいかなくても、決して自分を責めたりしない!←コレ一番大事!
テストにでま~す!(笑)
愛すること(2019・2・6)
すべての宗教的な教え、また偉大な人たちが口々に仰っていることは
『愛しなさい』ということ。
私が『愛』を語るには、まだまだすべての面においておこがましいですが、
色々な人、物、事、にぶつかり体験していくと、必ず最後には
『愛する』にたどり着きます。
『人は愛してもらい、愛を覚え、愛を学び、愛を与える。それを繰り返している。』
『ならば、初めに愛を与えた者は愛を与えてもらっていない。その者こそ、神様である』と仰っているのを聞いた。
『隣人をあなた自身を愛するように愛しなさい。』
この、『あなた自身を』が、まず大切なことだということも教えてもらいました。
ありのままの自分を、裸ん坊の自分を、目をそらさずに、愛する。
自分からの『愛』と神様からの『愛』で満たされた自分だから、隣人を愛することが出来るんじゃないかな?って気がする。
あああ・・少し見えてきたとはいえ、やっぱり愛を語るのは難しい。
私自身まだまだ不安定。愛で満たされても、すぐ失っちゃう。迷い子。
ただ、私もいつか細やかながらでも、愛を与える人になりたいと思ってます。
その前に、まずは、ありのままの私を愛します♡
新月(2019・2・5)
スピリチュアルなことをテーマにされている方々のブログなどでは
『今日からスタート』という意味もあり、とても大切にされてる日となっていますね。
あちらこちらの、そのテーマで書かれてる方々のブログがとてもエネルギッシュで
パワーを頂くことが書かれてて、昨日少しつらい事があったのですが、
朝からお天気の恵みと、そのエネルギッシュな文章からパワーを頂けて、元気にスタートできました。
(本当にみなさんはご自分が思っている以上に、他人さんに元気を与えている存在なんですよ。お書きになってる、話されてることが、あなたの知らない所で、必要な方には思いもよらないパワーを発揮するもんなんですよ。だから、ご自分は「役に立ってない」なんて思わないでくださいね。十分価値ある存在なんですよ。)
そして今日は新月。とても願いが叶いやすい日。
早速私も朝、手帳に新月のお願いを書きました。
これから満月にかけて、月が満ち足りるまで願いが叶いやすい日が続きます。
月が満月にかけて満ち足りるごとに、神様に願いが届くと想像しながら、
なるべくマイナスな事を考えず、言霊を意識して過ごす努力をしていきたいです。
新月を迎えてから48時間以内がお願い事が最も叶いやすい時間です。
『気は心』です。気持ちの問題です。気持ちをのせてみようとお思いならば、
なさってみてはいかがですか?
立春(2019・2・4)
今日は立春。『春が立つ』
これからどんどん気温も上がり、暖かい陽気になっていく。
旧暦で立春が1年の始まりとされてます。
今日からの始まりを重んじてる方々も多いと思いますね。
『立春大吉』と書いたお札を厄除けとして入口に貼るというのもあるそうです。
立春大吉という字が左右対称なので入口から入った鬼が振り返った時、
「あれ?まだ入り口に入ってない」と勘違いさせる意味もあるみたいです。
(ウェザーニュースより)
立春に味わうものとして、『立春朝搾り』『朝生菓子』があるそうです。
そういえば、スーパーに行ったら美味しそうな生菓子が売ってますね。
私も立春で新しい気持ちでまた1年をスタートするために、手帳の日記に
「神様を日々感じること、ありがたさを感じること、幸せに思うこと、豊かに思うこと、優しさを覚えること、それらを大切にしたい。」と書きました。
私にとって、今日書いた事はすべてにおいてまだまだ努力中です。
ですが、とっても大切にしたいこと。
その思いを抱けるようになっただけでも、私自身を褒めたいと思います。
『この人が好きだから、こうゆう風に変えていこう。と思ったのは自分なんで、
本当に人生を変えてるのは自分かもしれないです。』と、ご自分の人生をガラリと変えて頑張ってる方が仰ってました。
ご縁あって、この文章を読まれた方のすべてのかたが、お幸せに歩めますように。