人の弱さを知る
ダビデ王の詩です。
父が子らに憐れみをもたらすように、主をおそれる者らに憐れみをもたらす。
主は私たちがチリにすぎないことを覚えておられる。
人の日々は草のよう。
野の花のように咲くのみ。
風がそこを吹き抜ければ消え失せ、生えていた場所も もはやそれを知らない。
しかし、主の慈しみはいにしえからとこしえまで主をおそれる者の上にあり、
その義は子らの子に。その契約を守る者に、その諭しを心に留めて行う者におよぶ。(詩編103:13-18)
主をおそれかしこむ者に対しては父親のように優しい思いやりを示してくださる。
土のチリにすぎない私たちは、草花のようにはかなく、風に吹き飛ばされて消えるようなちっぽけなものであることを知っておられるからです。
しかし主は、主を信じる者には、いにしえ(生まれるはるか前)から、とこしえ(永遠)まで慈しまれます。
私たちは神様が土のチリから造られたことを忘れ、神様に背を向けて生き、自分がとても優れた者と勘違いしたりする時があります。
もしかしたら、悪魔が耳元で「あなたは神のように優れている」と吹き込んでるのかもしれません。かつてアダムとエバが騙された時のように。
本当は草花のようにはかないものだと知らなければいけないのでしょう。
そしてその弱さを知ることにより、神様を畏れ、神様の恵みを頂けるのだと思います。
この詩から、王だったダビデさんは自分の弱さをよく知っていたのだろうな、と思いました。