隠れた施し(2019・12・2)
私たちは人に良い施しをした時に、相手から感謝されなかったり、当たり前に思われたり、迷惑がられたりしたらガッカリしてしまい、その相手に嫌な感情が湧いてくると思います。「せっかくやってあげたのに」と。
そして、自分の良い施しを相手に分かるように行って認めてもらおうともするのではないでしょうか?
だって、褒められたいですもんね。
神様はこう仰っています。
見てもらおうとして、人前で善行をしないように注意しなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から報いが受けられない。だから、施しをする時には、偽善者たちが人から褒められようと会堂や通りでするように、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。よく言っておく。彼らはその報いをすでに受けている。施しをする時は、右の手のしていることを左の手に知らせてはならない。あなたの施しを隠すためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。(マタイによる福音書6:1-4)
良い施しをした時に、人に分かるようにすると、もうすでに人から報いを受けたので、天の神様からは報いは受け取れません。私たちが施す隠れた善行は、どんなに小さなことでも、神様は必ず報いを与えてくださるとのことです。
私たちが人に対して行ったこと全てはその人を通じて神様に行っていることなのです。ですので、その人が施しに気づこうと気づくまいと、神様に捧げる気持ちを持つことが、神様からの報いを受け取ることに繋がるのでしょうね。
そう思えた時、人に対しての見返りも高慢な気持ちもなくなり、ただ、私の施しに気づいてくださった神様に感謝をしたくなるのだろうと思いました。