見えない、触れれない、聞えない、神様(2019・10・22)
神様は私たちには見えないし、触れれないし、聞えない。
結局は人生を切り開いて歩んでいるのは自分自身なんだ、だから自分自身を一番に信用して歩むことがもっともなんだ。
そう思って人生を歩んでる方も多いと思います。
上手く事が行かない時だけ、いるのかいないのか分からない神様を拝むだけ、それも「あわよくば」といった宝くじのような気持ちで祈り求めているのではないですか?
事が上手くいけば、それは自分の行いが良かったためだと考えるのではないですか?
神が何を望んでおられるか知りたいなら、遠慮なく直接尋ねなさい。神は喜んで教えてくださいます。願い求める人には、神はいつでも惜しみなく、溢れるばかりの知恵を授けてくださるからです。(ヤコブの手紙1:5-6)
私たちが見える、触れれる、聞える、範囲なんて知れた世界です。
神様は人知をはるかに越えた方です。私たちの考えなんて及びません。
見えない、触れれない、聞えない、この神様を信じて受け入れることで、感じてほしいです。見えなくても、触れなくても、聞えなくても、周りにはたくさんの神様の恩恵が満ち溢れれてることを感じてほしいです。
私たちが生きるためのものを、すべて与えてくださってます。
水も、空も、空気も、太陽も、大地も、地球も、
そして確かに自分の中に宿る神様の存在も感じることが出来ると思います。