「あってないもの」と「あってあるもの」(2019・8・31)
ある人が仰っていました。「人はあってないものだ。」と。
今私たちはココに存在していますが、私たちは何かに依存しなくては生きていけません。
水がないと生きていけません。食べ物がないと生きていけません。空気がないと生きていけません。
神様は「あってあるもの」とハッキリ仰ってます。
何かに依存しないと存在出来ない方ではありません。
そのような方に、私たちの多くは「神様なんて信用してない」とか、「神様ではなく、自分自身を最も信用しよう」と言って、神様から離れた人生観で生きようとしてます。
それらを『罪』と教えられました。
犯罪を犯したり、法を犯すことも罪ですが、聖書では元々の『罪』は神様から離れる行為だと教えてもらいました。
離れてしまったために、自分ひとりの力で生きていると錯覚を起こしたり、「神様なんていらない」と思い、身勝手な思想に走ってしまったりします。
生きる意味も分からず、何のために生まれ死んでいくのかも分からないまま、
ひとときの幸せのために生きているように思います。
「今だけ、今この瞬間だけ、安らぎをください」と願い、ひとときの安らぎの中で眠り、目が覚めるとまた解決できない矛盾の世界で傷を作りながら生きていくように思います。
「何のために?」「なぜそこまでして生きなきゃいけないの?」
これらの迷いは神様から離れている人の迷いです。
迷走は辛いです。
真っ暗の中でさまよっているようです。
けれど光を見つけると、道が見えてきます。
「何のために生まれたの?」の答えも見えてきます。
神様は『光』です。
私たちが道に迷わないように進めるよう照らしてくださる光です。
光を見失わず、いつも光の方に顔を向け歩めるように生きたい。
皆がこの光を見失わないで生きていけることを心から願います。