神様がお与えになった試練(2019・7・20)
試練には、『神様がお与えになった試練』と
『神様から離れた人が自ら作り出した試練』があります。
神様から離れた人が作り出した試練には、そこに神様が宿っていないので、
すべてを自ら刈り取らなくてはいけません。それはとても困難な道のりです。
望む道に辿り着けるかどうかもわかりません。
自らを神様のように振る舞ったり、他のものに救いを求めているから仕方ありません。
けれど、神様がお与えになった試練は、神様は私たちを試されてるそうです。
その試していることとは、『誰に頼るのか?』ということなんだそうです。
よく『乗り越えられない試練はない』と言いますが、
あの言葉は、神様を信じている人の試練の言葉だそうです。
神様は私たちが神様に頼ることに気づいてくれることを待っておられるのです。
そして神様に頼り求める人には、『平安』『なぐさめ』が与えられると仰ってます。
今ある試練を神様からのものであるか、そうでないものにするかは、
私たちの神様に対して信じる気持ちなんだという事を教えてもらいました。
すべての懲らしめは、その時は喜ばしいものではなく、
かえって悲しく思われるものですが、のにになるとこれによって訓練された人々に
平安な義の実を結ばせます。(へブル人への手紙12:11)