神様の宿りのある人たち(2019・7・18)
私が見ていて思った事です。
神様の存在を信じ、心に神様の霊が宿っていると感じる人は、神様のことを語る時、
ある人は、大好きなタレントさんのことを語る時のように、
ときめいた気持ちで語っていたり、
ある人は、生き別れの親子の再会のような気持ちで涙を浮かべて語っていたり、
ある人は、恋人に会っているような恋する気持ちで語っていたり、
ある人は、自分を救ってくれた恩師のような気持ちで語っていたりしてます。
その姿は、皆さん絶対的な揺るぎない信頼感と安心感に包まれてます。
ある高齢の婦人が病に倒れ、半分回復された体で、
「私はもはや自分自身は死んでおります。今は神様が私の中にいて、
私を生かしてくださっているのです。」と仰っていました。
体は立っているのがやっとなのに、振り絞るようなお声で強くはっきり仰ったご婦人は、ご病気にもかかわらず、お幸せそうでした。
私たちが生きていると、どうしてもこの世での誘惑や困難があり、
私たちを悩ませ迷わせ苦しめます。
人間同士のぶつかり合いや、理解してもらえない悔しさや、騙され裏切られたり、
予期しない病気だったり、経済的崩壊だったり、
数えきれないほど、苦しみや不安に支配されたりします。
そのたびに進む道を見失ってしまっているように思います。
誰の助けもなく、1人果てしない真っ暗な中を歩いている人も多いと思います。
私が見てきた神様の宿りを感じる人たちは、どなたも1人で歩かれてると感じてる方はおられませんでした。
そして歩む道を自らの力だけではなく、神様に相談されながら歩んでいるように感じました。
その姿は雄々しく、美しく、輝いているように見えました。
すべての道で主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道を真っ直ぐにされます。
(箴言3:6)