人への執着(2019・3・26)
神様の存在を大切にするようになって、『執着を捨てる』ということを学びました。
まだまだ学びの最中なんですけどね。
その中のひとつに『人に対しての執着』が減ってきたように思います。
前は人の顔色ばかり気にしたり、人に過度に期待したり、絶望したり、
人ありきで自分が生きていたように思います。
嫌われたくないから期待に応えようとして必死になって、
その成果を認めてもらおうとして。
けど、自分が期待した評価が貰えなかったら落ち込んだりして。
相手に否定されたら絶望して。
また、相手に対しても期待が大きくて、思う答えを返してくれなければ、
勝手に裏切られた気持ちになったりして。
「なんで分かってくれないの?」とか思ったりして。
これらすべて相手に対しての執着でした。
神様の繋がりを大切にして、神様の愛を深く感じるようになると、
『ありのままの自分』を受け入れることを大切にするので、
相手に過度に求めなくなりました。
相手に過度に期待を持たなくなりました。
これは『無関心』ということではなくて、
『過度な期待』という名の『依存』から解放された感じです。
きっと私と関わっていた人たち、私が勝手に過度な期待をしてしまい、
窮屈な思いをさせてしまってただろうな、と反省と懺悔の気持ちです。
今は過度な期待ではなく、相手の世界を尊重することを意識するように
心がけてます。(もっぱら努力中ですが)
本来はもっと早くに分かることを、
私は今、神様への信仰を通して教えてもらってます。
そして、その教えで生き辛かった世界からも少しずつ解放してもらってます。
ここに辿り着かせてくださった神様、
私に生きる光を与えてくださった神様に感謝の気持ちでいっぱいです。
あなたの御言葉はわたしの足のともしび、私の道の光です(詩編119:105)