予感(2018・12・09)
昨日は朝から何となく嫌な予感がしていた。
新月空けなので願いが叶いやすいと言われているそんな日。
なるべくいい事を考えて過ごしたいのにと思っていたのだけれど、
頭に浮かぶのは両親の事。
また父が母に暴言を言って悲しませてないだろうか。
また父が母を殴ってないだろうか。
また父が母を苦しめてないだろうか。
そしてこの日は母の77歳の誕生日でもあった。
せめて誕生日の日ぐらい「おめでとう」と言ってもらえないだろうか。
せめてこの日ぐらい暴言を吐かずに一日すごしてもらえないだろうか。
無力な私はもう祈る事しかできない。
・・・と考えていたその時、盛り塩のお皿を割ってしまった。
「嫌だな」
そんな気持ちがこみ上げてきた。
ちょうど母の事を考えながら盛り塩を掃除している時だっただけに。
けれどそこから思考を深く考えずに
『これはただ皿が割れただけの事、何も気にする事はない。
形あるものはいつかは壊れる、それが今日たまたま起きただけ』
モヤモヤした気持ちを一掃しようと頑張っていた。
その晩、叔母から電話があった
おば「お母さんから電話あった?」
みー「いや、ないよ」
おば「えらいことになってるらしいよ」
正直『またか・・』と思って目の前が真っ暗になった。
おばが言うには、「父が気がふれていて母に「出ていけ、出ていけ」
と言っていては暴言を吐きまくってるらしく母も涙声だったみたいだ」との事。
母も出ていきたいんだけれど、
放っとくわけにはいかなくてどうしていいか分からない
と言ってるらしい。
先日私は両親の前で両親の事が原因でパニック発作を起こした。
それから「また電話が掛かってくるんじゃないか」とか
「また関わらなければならないんじゃないか」とか予期不安もこみ上げていて
それを訂正するのに必死で過ごしている。
もちろん神様にもそのことをお願いしていた。
そのお蔭もあって私の方には電話もなかった。
今回は嫌な出来事だったが、この事を神様は事前に報せていたんだな~と思った。
神様と繋がると不思議なことがたくさん起こります。
昔の私ならおばの話を聞いただけで予期不安の恐怖で体調を崩していただろうと思う。
けれど神様の光をたくさん浴びてるイメージをして、神様を感じる努力をしていたら
気持ちを切り替えられるようになった。
また自己愛の毒親に心を壊されそうになるかもしれない
だけど、その世界の中だけで苦しみの中生きるのはやめようと心から思っている。
苦しみを脱出していつまでも神様のもと、光の中で生きていきたいと心から願ってる。