神様大好き!みーのこころブログ♪

自己愛性人格障害の父とそれに従う母に育てられ、ウツとパニック症を患い生きづらかった私。そんな私に神様が手を差し伸べてくださった☆神様から愛と光をたくさん頂いて人生必死に生きてます。神様が教えてくださった事や人やメッセージを綴っていきます♪

裁いてはいけません(2019・6・12)

私は人と話をしていて、自分の意見を無理に正当化して、

相手を自分に従わそうとしてしまう時があります。

それはとてもいけないことだと思ってます。

 

神様は『裁いてはいけません』と仰ってます。

裁きは神様の性質だと仰ってます。

 

ここでの裁きは『罪の裁き』ではなくて、人と人を区別してはいけない、

自分勝手な「ものさし」で人を批判してはいけない、といったことです。

 

そう仰っているということは、私たちが私たちの口で、

裁きを常のものとしてしまっているんだな~と感じます。

 

この教えを学んでから会話中に『裁いてはいけません』が浮かびます。

そうすると、言葉が出なくなり、「またやってしまった」と思います。

そして言葉を選び直します。

裁いてしまった自分に落ち込んだりもします。

 

けれど、神様、

これでいいんですよね?

頑張って神様に従おうと生きてる私でいいんですよね?

と神様に訊ねたりします。

 

ゆっくりゆっくり、でも一歩ずつ、

焦らないで、急がないで、1mmでも前に進めたらそれでいい。

そう思うようにしよう。

 

裁いてはいけません。裁かれないためです。

あなたがたが裁くとおりに、あなたがたも裁かれます。

あなたがたが量るように、あなたがたも量られます。

(マタイによる福音書7:1-2)

 

ひとりではありません(2019・6・11)

私たちが弱さの中で生きている時、神様は私たちを強くしてくださってます。

いつも私たちのおそばに寄り添い、私たちの魂と霊の成長のため、

答えてくださいます。

 

不安や怒り、苦しみの中で心が乱れ、どうしようか悩み迷うことも、

神様はご存知です。

 

そして私たちに、ひとりで抱え込まないで「私に委ねなさい」と

仰って、私たちの荷を軽くしてくだいます。

 

あらゆる場面でも、神様がいつも私たちに手を差し伸べてくださっていることを、

どうか覚えておいてください。

そして私たちの魂と霊とが、幸せで豊かに成長するように導いてくださってることも。

 

弱さの中にいて、ひとりで歩んでいるのではありません。

いつも、どんな時も神様と共に歩んでいます。

 

わたしが呼んだその日に、あなたはわたしに答え、

わたしの魂に力を与えて強くされました。(詩編138:3)

 

心の目で見て触れてみてください(2019・6・10)

神様は現実に私たちの目に見ることができず、

私たちの手に触れることができません。

だから、「神様はそこに存在してます。」と言われても、

なかなか受け入れることができない人も多いです。

 

そのため、「私はこの程度の人間だ」と自分自身を自分の中で決めてしまったり、

諦めたりしてしまうことも、よくあります。

 

過去の失敗をいつまでも悔やみ、その中で生き続ける人、

未来の不安ばかり考えて、自らの未来を黒く塗りつぶす人、

「私みたいな人間は、神様から愛を受け取る資格ありません」と言って、

神様を自ら拒む人、

自分で自分を「つまらない人間だ」「どうしようもない人間だ」と、

誤った裁きをやめない人、

その不安定な心を周りのせいにして、他人さんを裁き、縛りつける人、

 

人は弱くて、利己的で、不完全だから、

誤った考えに心まで支配されてしまいがちです。

 

あなたがどんな人なのか、

あなたが何をしたか、

あなたが何をしなかったか、

それらすべてを裁くことができるのは、あなた自身ではありません。

それらすべてを裁くことができるのは、神様だけだと仰ってます。

 

そして『あなたが何をしたか、何をしなかったかに関係なく、

私はあなたを愛している』と仰ってます。

 

神様が現実に見えず、触れることが出来ず、信じる力が弱くても、

同じように愛してくださってるのが、神様です。

 

現実の目で見えなくても、触れることが出来なくても、

心の目で見て、神様の優しさに触れることが出来ると信じてます。

 

心の目で見て感じて神様に触れてください。

 

わたしは主である。わたしのほかに神はない。ひとりもない。

あなたがわたしを知らなくても、わたしはあなたを強くする。

イザヤ書45:5)

 

祈ること(2019・6・9)

私は、神様に願い求める人には、

神様が差し伸べた手を感じることが出来ると信じてます。

 

神様を感じることが出来るひとつに『お祈り』があります。

お祈りによって神様と繋がることができると仰ってます。

神様は祈ることはとても大切なことだと教えてくださってます。

 

マザー・テレサは「祈りによって心が清められます。

心の清い人は神様を見ることができます。」と仰ってます。

マザー・テレサは生涯、絶えずずっと祈っていたそうです。

 

聖句に『心の清い人は幸いである。その人は神を見るであろう。(マタイ5:8)』

と書かれてます。

 

「絶えず祈りなさい」と仰っている神様の御言葉は、

私たちに不完全さを教えてくださり、神様がいつも私たちに

寄り添ってくださってることを忘れないで、

との意味も含まれているのかもしれません。

 

ブログのお仲間にもお祈りを大切にされてる人たちがおられます。

同じ気持ちに、とても嬉しくて繋がれたことに喜びを感じます。

 

祈りは神様との対話だと思います。

心清い人に近づくためのひとつだと思ってます。

祈ることを大切に生きていきたいです。

 

絶えず祈りなさい。(テサロニケ人への第一の手紙5:17)

 

恐れてはいけない

聖書の中で『恐れてはいけない』は

古代ヘブライ語ギリシャ語で『逃げてはいけない』という表現らしいです。

また聖書には、それらの表現が144回もあるそうです。

 

これは、物理的に『逃げる』という事よりは、自分の心から逃げてはいけないと

いう意味だそうです。

『逃げずに神様のもとに来なさい』という意味とのことです。

 

『恐れる』ということは、自分の弱い魂(感情)に従い、不安や恐怖心に

支配されてしまうことなんだと思います。

そうではなく、自分の霊(内神様)に従いなさい、ということなんだと思います。

 

神様は私たちが、生きている中で、自分の魂(感情や意志など)と

霊(内神様)に成長してほしいと願ってます。

自分の魂(自我)に振り回されず、霊に満たされることが、

幸せで豊かに生きるために大切なことだと仰ってます。

 

いつでも私たちは神様の内にいて、神様が私たちの内にいてくださることを

忘れないことが、『恐れ』から解放される道をみつける方法だと

教えてもらいました。

 

恐れてはいけません。わたしはあなたと共にいる。(イザヤ41:10) 

 

私たちの霊(2019・6・7)

神様に祈り、神様と繋がりを持つこと、そして神様の御言葉を意識することは、

私たちの霊的な力を強くし、霊的な持久力をつけてくれることだ、とのことです。

 

言ってる意味が理解できず、「こんなこと無意味だ」と頭で思っていても、

神様の御言葉や祈り、繋がりは私たちの霊的成長を与えてくださるそうです。

 

神様は、自分ひとりの力では乗り越えられないことも

「私を呼びなさい。そうすれば理解を越えた大いなることをあなたに告げよう」と

仰ってくださってます。

 

だから、自分の心(魂)が自分の手におえなくなり、

ひとりではどうすることも出来なくなっても、

神様の力で強くなった霊は奇跡的な力を与えてくださる。 

 

私たちは、決してひとりではないんです。

見ようとしていないのは、私たちの方なんです。

神様は常に私たちに寄り添っています。

そして語りかけてます。あなたが喜びの中で生きるため。

 

神様に目を向け、御言葉に耳をすませ、

自分に宿っている霊を強く成長させてください。

どうか、お願いします

先日

いつでも笑顔でいたい自分と、いつでも笑顔でいられない自分の狭間で

涙が出ました。

 

今、人に思うような態度で接することが出来ない人、

今、心にゆとりがなく、家族に思うように向き合えない人、

今、もっと頑張りたいのに、身体が思うようにいかない人、

今、自分の悪いところばかり目について、自分を否定ばかりしてしまってる人、

今、過去の自分のトラウマと葛藤して、未来の一歩が踏み出しきれない人、

今、このままの生活では悲観的な未来しか浮かばない人、

 

どんな状況でも、自分を責めないでください。

自分の気持ちを大切にしてください。

 

なぜ、あなたがそんな気持ちになってしまったのか、

神様はあなた以上に分かってます。

そして、そんなあなたを許し愛してくださってます。

 

どうか、そのことを忘れないでください。

 

わたしは主である。わたしの他には神はない。ひとりもない。

あなたがわたしを知らなくても、わたしはあなたを強くする。

イザヤ書45:5)